いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。(ルカの福音書22章40節)

1.エペソ人への手紙6章10節ー20節
2. ピリピ人への手紙4章6節ー7節
3.ヘブル人への手紙5章7節ー10節
4. テサロニケへの手紙第一5章18節ー25節

悪魔は「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」という神の警告を直接聞いていなかったエバに対し、「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と、神のことばを完全否定し、偽りをもって罪を犯すように誘惑したのでした。エルサレムで殺されるけれども三日目にはよみがえることを打ち明けたイエス様にペテロが「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と、申し上げると、イエス様は振り向いて「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ(くじけさせる)。あなたは神のことを思わないで人のことを思っている。」と仰せられたことばに、サタン(悪魔)の策略を見ることができます。ところで、ヤコブは「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲にひかれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(ヤコブの手紙1章13節ー16節)」と警告しています。パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12章2節)」と命じているのは、神を、神がご計画をもって私たちを導いてくださっていることを忘れ、自分の考えや感情、欲に支配され、肉の思いに駆られるような状態に陥らないためではないでしょうか。祈る時、私たちの父なる神は私たちに何が必要なのかをご存知であることを忘れずに、主が教えてくださったように「天にいます私たちの父よ。」と、この世から目を離し、主を仰ぎ見て祈るようにしようではありませんか(マタイの福音書6章7節ー9節)。