あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)
1.ヨハネの福音書1章1節ー13節
2.ヨハネの福音書3章1節ー7節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
4.テモテへの手紙第二1章3節ー7節
主がヨシュアに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなっとともにいよう。わたしはあなたをみはなさず、あなたを見捨てない。」と約束されてから二度「強くあれ。雄々しくあれ。」と励ましても、恐れおののいていたのでしょう三度目には「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と再度主がいつも一緒にいてくださることを約束されたのでした。パウロは「私」に生きていたコリントの教会に行った時には弱く、恐れおののいていたことを告白しています。私たちも主が聖霊なる神として私たちのうちに内住しておられることを知っていても、ヨシュアやパウロのように、恐れたりおののいたりしてしまいますが、パウロは「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と、恐怖の背後には目に見えない霊の働きがあることを語っています。パウロは、コリントの聖徒たちに「兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」と、弱く、恐れおののいた状態から脱する秘訣を語るとともに、そのことによって宣教の働きは御霊と御力によるものになったことを語っています(コリント人への手紙第一2章1節ー4節)。恐れや思い煩いが襲って来た時、「アバ、父」と、私たちの父はどのような方なのかを、信仰の完成者であるイエス様を見上げ、キリストにある平安を、神の力と神の知恵をいただこうではありませんか(ヨハネの福音書14章27節、コリント人への手紙第一1章24節)。
