すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りをつくし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)
1.マタイの福音書5章43節ー48節
2.マタイの福音書26章36節ー46節
3. ローマ人への手紙8章26節ー27節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節ー19節
パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、またいっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。」と勧めているのは霊的な戦いだからであり、そのためには神の武具を身につけるように勧めていますが、集約するとキリストを着ることをであり、その上で「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りをつくし、また祈りなさい。」と勧めています。パウロは「私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。(コリント人への手紙第二2章11節)」と語るととに「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。(コリント人への手紙第二10章3節ー4節)」と、キリスト者に与えられている神の武具の威力について語っています。ところで、イエス様はゲッセマネの園で弟子たちに「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」と仰せられるとともに三度目の祈りを捧げられてから「まだ眠って休んでいるのですか(では、ぐっすり眠って休んでいなさい。欄外参照)。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」と仰せられましたが、それは弟子たちを責めているのではなく、私たちは弱いからこそ祈るように勧めておられるだけでなく、行動に移る時も主が教えてくださることを示唆しておられるのではないでしょうか。御霊は神の御心をご存知であるがゆえに御霊によって祈ることを勧めていますが、聖書は神の霊感によって書かれていることを思うと、御霊で祈るということはみことばを握って祈ることでもあり、ことばをもって祈ることができないような時には「主よ」とうめくことも御霊によって祈ることであることを心に据えて(ローマ人への手紙8章26 節ー28節)、いつでも絶えず祈るようにしようではありませんか。
