私はいつも主を目の前に置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩篇16篇8節)
1.箴言3章3節ー8節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3. 使徒の働き2章15節ー25節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー12節
ダビデは「神よ。私をお守りください。」と、主の守りを願ってから「私は、あなたに身を避けます。私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。』」と、主との個人的な関係を告白してから「私はいつも主を目の前に置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」と、ゆるがない人生を歩む秘訣を語っています。ところで死からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロは詩篇16篇8節のギリシャ語訳を引用して「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。(使徒の働き2章25節)」と、語っています。ヘブル人への手紙12章2節は「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めてから「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」と語ってから「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と語っています。イエス様は悪魔の試みにあっただけでなく、ヨハネの福音書1章11節が「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」と語っているように、受け入れられなかったどころか十字架の死に追い込まれたのですが、その背後にはユダヤ人だけでなくすべての人を救うという神のご計画があったのでした。ヨハネの福音書1章16節が「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」と語っているように、信仰がなくならないようにとりなして祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられるイエス様を仰ぎ見て生きるようにしようではありませんか。
