先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ署43章18節ー19節)
1.出エジプト記13章17節ー14章31節
2.民数記13章32節―14章29節
3.エズラ記3章1節ー13節
4.ピリピ人への手紙3章12節ー14節
主はモーセを用いられて多くの奇蹟をもって苦しんでいた民をエジプトの手から救われ乳と蜜の流れる良い地に導かれる時「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」と言われ、近道であるペリシテ人の国の道に導かれず、ミグドルと海の間にあるバアル・ツエフォンの手前で宿営させてから出かけたので、前方には紅海、後方からは追って来たパロやエジプト軍に追いつかれそうになったために民は恐れて主に向かって叫んだのですが、モーセには「エジプトに仕えるほうはこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」と、乳と蜜の流れる良い地に導き入れてくださる、という主の約束のことばを忘れ、自分たちの考えでまだ怒ってもいないのにも関わらず「荒野で死ぬ」と結論づけて不信の罪を犯したのですが、主は紅海を二つに分けられ民が無事対岸に渡り終えると、紅海を元に戻されたのでパロをはじめエジプト軍はひとり残らず溺死したのでした。民は主の大いなる御力を見て主を誉めたたえたのですが、事あるごとに彼らはエジプトを懐かしんで何度も不信の罪を犯したのでした。私たちも過去を振り返って、ああしなければ良かった、と後悔したり、昔のほうが良かったかのように思ってしまうことがありますが、ソロモンは「どうして、昔のほうが今より良かったのか」というような問いは、神の知恵によるものではないことを語っています(伝道者の書7章10節)。主が「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」と、仰せられた事を心に据えて、荒野のようなこの世にあって、主がどのような方であるのかを忘れずに。不信の罪に陥らないように、箴言3章6節が「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」と勧めているように、日々主を仰ぎ見て、過去から解放された人生を生きようではありませんか。
