「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

1.マルコの福音書2章13節ー17節
2.ヨハネの福音書3章16節ー21節
3.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
4.ヘブル人への手紙7章24節ー28節

イエス様が弟子たちに「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者が皆、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネの福音書16章2節ー3節)」と仰られたように、サウロとも呼ばれていたパウロはダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」と声をかけられるまでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたのでしたが、キリスト者となったパウロは「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」と語ってから、「私はその罪人のかしらです。」と告白しています。昨年と今年は木幡にある医療少年院で、今年は松江の刑務所での奉仕がありました。主人は「私は交通違反をしたことがあります。私の場合は、罰金を支払ってすみましたが、私も罪人です。」と話してから、「イエス様は私たちの全生涯の罪を負って十字架の死をもって罪に課せられる罰を私たちの代わりに受けてくださったのです。イエス様は全生涯の罪を取り除いてくださるので、天国に行くことができます。心にイエス様をお迎えするお祈りをしましょうか。」と語ってから、少年院では心の中ででも良いから、と言いましたが、男性の成人だけが収容されている松江の刑務所では心の中と言わなかったので、松江では皆さんが大声で「イエス様、私の過ちや罪をお赦しください。これからの人生をお導きください。私に永遠のいのちをください。」と主人の後をついて祈られました。不思議なことに少年院の少年や少女、松江の刑に服している皆さんの顔の表情が明るくなりました。「赦される」ということがどれほど力のあるこのであるか、と思わされました。今日はクリスマスです。イエス様を畏敬の念をもって礼拝するだけでなく、キリストはすべての人に必要な方であることを心に据えてイエス様を信じていない人々のためにとりなして祈ろうではありませんか。