私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。(エレミヤ書15章16節)
1.詩篇19篇7節ー8節
2.詩篇119篇65節ー77節
3.エゼキエル書3章1節ー3節
4. 使徒の働き20章29節ー32節
パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と勧めているのは(ローマ人への手紙12章2節)、詩篇1篇1節ー3 節が「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植った木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」と、語っているように幸いな人生を過ごすためではないでしょうか。パウロは二度と会うことがないと思われたエペソの長老たちに「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。」と言われた理由を「みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって、御国を継がせることができるのです。(使徒の働き20 章32節)」と語っていますし、詩篇19篇7節ー8節が「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しく、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」と語っています。ですから、胎内に形造られる前から主に知られており、預言者として定められていたエレミヤは、苦悩される中で「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。」と、告白しておられのではないでしょうか。私たちも主の御名によって救われ神の子とされていることを忘れずに、この世や人の知恵、世の報道にほんろうされないように、みことばを食べる、すなわち、恵みに満ちたみことばを味わい、主のことばは真実であることを喜んで生きるようにしようではありませんか。
