私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。(詩篇33篇20節)
1.詩篇4篇3節ー8節
2.伝道者の書3章1節ー11節
3. イザヤ書40章21節ー31節
4.エペソ人への手紙6章10節ー16節
イエス様は弟子たちに「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネの福音書16章2節3節)」と仰せられたように、パリサイ人であった時のパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えて多くの聖徒たちを牢に入れたり、人々のために「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなして祈られたステパノが殺される時には賛成の票を投じたりしていたのですが(使徒の働き7章40節ー8章1節)、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられキリスト者となった彼は「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と、本当の敵は誰なのかを間違えないように語ってから、「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように神のすべての武具をとりなさい。」と勧めてから、「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えを履きなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大楯を取りなさい。それによって悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」と、この世を支配している悪魔や悪霊に勝利する秘訣を教えてくださっています(エペソ人への手紙6章12節ー16節)。ところで伝道者の書3章11節は「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と語るとともに「人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。」とも語っています。今日の聖句「私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。」を心に据えて、主はどのような方なのかを忘れずに、苦悩するようなことがあっても、新しい力を与えてくださる主を(イザヤ書40章31節)、すべてを美しくしてくださる主の時を待ち望んで生きるようにしようではありませんか。
