どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(ローマ人への手紙15章13節)

1.ローマ人への手紙4章19節ー5章5節
2.コリント人への手紙第一2章7節ー12節
3.ピリピ人への手紙2章13節ー16節
4. テサロニケヘの手紙 第一1章1節―7節

創世記1章27節が「神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と、伝道者の書3章11節が「神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と語っているように、人は他の被造物と異なって永遠が与えられているがゆえに、死んでその存在が無に帰してしまうのではなく、死後も生き続けることになることを聖書は語っています。パウロは、まず「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、」と、私たちが信じている神は「望みの神」、すなわち、私たちに望みを与えることのできる神であり、その神が信仰によって与えられているすべての喜びと平和をもって私たちを満たしてくださるように祈られてから、「聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように」という祈っているのは、聖霊は私たちが御国を受け継ぐことを保証してくださるからではないでしょうか(エペソ人への手紙1章14節)。パウロは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)」と語っています。この世が与えることができない喜びや平安をもって生きるために、イエス様を信じたことによって神の子とされており、この世を去ることは、イエス様にお会いできることであり、永遠に主とともに死も、悲しみ、叫び、苦しみのない御国で生き続けることができるという生ける希望が与えられていることを、感謝して生きるようにしようではありませんか。