いっさいを愛をもって行いなさい。(コリント人への手紙第一16章14節)
1.コリント人への手紙第一13章1節ー3節
2.コロサイ人への手紙3章9節ー14節
3.ペテロの手紙第一4章7節ー8節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー5章2節
パウロは「私はパウロにつく」と言えば、「私はアポロに」と「私」に生きているコリントの聖徒たちに対して「あなたがたは、ただ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」と忠告してから(コリント人への手紙第一3章3節ー4節)、「いっさいを愛をもって行いなさい。」と勧めていますが、その愛は「アガぺ」、すなわち、神の愛によって行うことを命じておられます。ところで、イエス様は「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私たちの戒めを守りなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。(ヨハネの福音書15章9節ー10節)」と、パウロが、神の愛は私たちに与えられた聖霊によって私たちの心に注がれるものであることを語っているように(ローマ人への手紙5章5節)、生まれながら持っているものではないものであることがわかります。ところで十字架にかけられながらも、祭司長たちや律法学者たち、人々から、あざけられたり、ののしられたり、しかも十字架にかけられた犯罪人からも悪口を言われても(マルコの福音書15章29節ー32節)、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、とりなして祈られ、神の愛を示されたのでした。ですから神の愛の特徴は「赦し」であることがわかります。ペテロは「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一4章7節ー8節)」と語っているように、行いだけでなく祈る時も、とりなして祈られた主を思い起こして神の愛をもって互いに支えあったり、祈ったりあったりしようではありませんか。
