わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1章9節)

1.箴言3章4節ー7節
2.ヨハネの福音書16章19節ー33節
3.ローマ人への手紙8章238節ー31節
4.ヨハネの手紙第一4章1節ー4節

モーセが死んだことはヨシュアも知っておられましたが、何かあった時「こんな時モーセがいてくれたら」などとつぶやかないためでしょうか。神である主はモーセの後継者となったヨシュアに「わたしのしもべモーセは死んだ。」と仰せられてから、「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と、保証を約束されてから「強くあれ、雄々しくあれ」と、二度励まされましたが、それでもヨシュアは恐れの中にいたのでしょう。三度目に「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」と命じられてから、その理由として「あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と、再び主がいつも共にいてくださることを話されたのでした。イエス様は弟子たちがイエス様にあって平安を持つようになることを話されてから、「あなたがたは、世にあっては患難があ離ます。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすで世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と、ヨハネは「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。(ヨハネの手紙第一4章4節)」と、この世を支配し、恐怖に陥れるような悪魔や悪霊よりも、彼らが恐れるイエス様が聖霊なる神として内住しておられるので、キリスト者には力があることを語っています。恐れ、おののくような時にこそ、主が共にいてくださることを、この世の霊ではなく力と愛と慎みの霊である聖霊様が内住していることを忘れずに、神の力、神の知恵であるキリスト(コリント人への手紙第一1章24節)にある者として生きるようにしようではありませんか。