イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカの福音書5章16節)
1.マタイの福音書14章6節ー23節
2.ルカの福音書4章1節ー21節
3.ルカの福音書18章1節ー8節
4.エペソ人への手紙6章10節ー20節
洗礼を受けられ水からあがられると天が開け神の御霊が鳩のように下り、聖霊に満たされたイエス様は御霊に導かれて荒野に上っていき悪魔の試みに会いましたが、みことばをもって悪魔に勝利されてから聖霊の力に満たされて宣教の働きを始められたのでした(ルカの福音書4章1節ー21節)。主はエジプトを出た民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない」と仰せら近道をさせずに海辺に宿営させたために、後方からはエジプト軍が迫り、前方には紅海と追い詰められると、彼らは非常に恐れて主に向かって叫んだのですが、モーセに「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れ出したりして、いったい何ということをししてくれたのか」とつぶやいたのでした。結局、主が紅海を二つに分けられ、民が対岸に着くと紅海の水を戻されたためにエジプト軍はひとり残らず溺死したのを見て、民は神をほめたたえたのですが、約束の地に向かって荒野を旅する間、欲に支配されたり、人を恐れると、その都度エジプトを懐かしんで不信の罪犯したために、20歳以上の者のうち「主にそむいてはならない。」と忠告したために石で打ち殺そうとされたヨシュアとカレブだけが約束の地に入れることになったのでした。キリスト者は恵みによって救われており御国の民とされ、罪に定められないようにイエス様が取りなしていてくださることを忘れずに、この世は悪魔や悪霊が働いていますから荒野のようですが、この世を去って天にもどるまでの間、今日の聖句が「イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」と、パウロが「絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これがキリストにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙第一5章17節ー18節)」と勧めているように、心のうちにある思い煩いや心配事を正直に主に申し上げる祈りの生活を大切にしようではありませんか。
