神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰られる。「立ち返って静かにすれば、あなた方は救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ書30章15節)

1.出エジプト記14章1節ー31節
2.哀歌3章22節ー41節
3.ローマ人への手紙10章1節ー13節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー12節

ペテロが「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちていく金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄になることがわかります。(ペテロの手紙第一1章5節ー7節)」と、ヤコブは「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じることを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙1章2節ー4節)」と、キリスト者には神の守りがあっても試練に会うことを語る一方で、試練を喜ぶように勧めていますが、試練が会っている時には苦悩し祈りますが、祈っていても、不安や恐れに支配されて、喜べないような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。パウロは主は耐えられないような試練を与える方ではないばかりか、逃れの道を備えてくださっていることを語っています(コリント人への手紙第一10章13節)。ところで、イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられました。思いもよらない状態に陥った時、あわててパニック状態に陥ったり、苦悩して落ち込んでしまわないために、主が「立ち返って静かにすれば、あなた方は救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と、勧めているように、主の前に静まって、主がどのような方なのかを思い起こしすことし、すべてのことを益としてくださる恵みとまことに満ちておられる主を信頼し、主からの平安と力をいただこうではありませんか。