神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。(伝道者の書5章2節)

1.ヨブ記42章1節ー10節
2.マタイの福音書6章5節ー8節
3.ローマ人への手紙10章10節ー17節
4.テモテへの手紙第一1章3節ー7節

ソロモンはまず「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。」と礼拝に行く時の心構えを語ってから「近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。彼らは自分たちが悪を行なっていることを知らないからだ。」と、愚か者、すなわち神を考慮しない人が捧げるいけにえよりも主の御声を聞くことの大切さを語っています。サウル王は主から「わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを今、行ってアマレク人を打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳の飲み子も、らくだもろばも殺せ。」と命じられたのですが、彼はアマレク人の王アガクを生けどりにし、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで聖絶せずに値打ちのないものだけを聖絶して主の命令に聞き従わず逆らったのでした。そのことを指摘されたサムエルにとうとうと言い訳をして、聖絶しなかった責任を「民は、ギルガルであなたの神、主に、いけにえをささげるために、聖絶すべき物の最上の物として、分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです。」と民に転嫁したので、サムエルは「主は主の御声に聞き従うことほどに全焼のいけにえや、その他のいけえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」と、サウルは神に選ばれ王として油を注がれたにもかかわらず、自分の欲に生き自分の非を認めず、愚かな者、すなわち神をご存じないこの世の人のように生きたのでした( サムエル記第一15章12節ー23節)。ソロモンは「神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。」と助言しています。イエス様は、天におられる私たちの父なる神は私たちが願う前から私たちに何が必要であるのかをご存知であることを話され、異邦人のように祈らないのように助言されたのでした。くどくど祈るよりも、私たちの必要を、すべてのことをご存知な神にお委ねして祈るようにしようではありませんか。