主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。(詩篇105篇4節ー5節)
1.歴代誌第二20章1節ー26節
2.詩篇63篇2節ー3節
3.コリント人への手紙第一1章19節ー25節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー12節
後方からはエジプト軍が、前方には紅海と四面楚歌のような状態におかれたイスラエルの民は非常に恐れて主に向かって叫んだにもかかわらず、この荒野で死ぬよりもエジプトに仕えるほうが良かった、などとモーセに文句を言ったのですが、主はモーセに「あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ。」と仰せられたのでした。モーセが手を海の上に差し伸ばすと、水が分かれ主が仰せられたように民はかわいた地を進んで対岸に着くと、主が「あなたの手を海の上に差し伸べ、エジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」と仰られたので、モーセがそのようにすると海がもとの状態に戻り、エジプト人はみな溺死したのでした。民は主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見て主を恐れ(畏れ)、主とモーセを信じたのですが、彼らは主の奇しいみわざを、その奇蹟と御口のさばきを忘れて、欲望にかられたり、人のことばに惑わされて恐れたりすると、主とその御力や御顔を慕い求めず、エジプトを懐かしんで不信の罪を犯し続け、民に対して「ただ主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と助言したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたので、主は20歳以上の者たちのうち約束の地に入ることができるのは主を仰ぎ見たヨシュアとカレブだけでした。私たちはイスラエルの民のような奇跡を体験しなくても神の御力がどれほどのものなのかをみことばに見ることができます。イエス様を信じたことによって全生涯の罪が赦されているので、死後、罪に対する神のさばきに会うことなく永遠のいのちが与えらていることこそ最も偉大な奇蹟ではないでしょうか。。ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように、心が元気を失ったり、疲れ果ててしまわないように、絶えず神の力、神の知恵である主の御顔を仰ぎ見て生きるようにしようではありませんか。
