神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができなさい。(伝道者の書3章11節)
1.伝道者の書3章1節ー8節
2.ヨハネの福音書13章1節ー7節
3. ローマ人への手紙11章23節ー12章1節
4.テモテへの手紙第一2章4節ー6節
創世記1章1節が「初めに、神が天と地を創造した。」と、語っているように、神は天地万物が創造される前から存在していることを示唆するとともに人間について創世記1章27節は「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と語っています。ですから、ソロモンは「人の心に永遠を与えらた。」と語っているのではないでしょうか。ところで、人には永遠が与えらていても人は「神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができなさい。」とも語っているのは、人は神ではなく被造物であるがゆえのことではないでしょうか。ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある。・・・泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。・・・愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。(伝道者の書3章1節ー8節)」と、「天の下」すなわち人がこの世で経験する両極について語ってから、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と語られました。哀歌3章33節は「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」と語ってから40節は「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と、箴言3章5節ー6節は「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と、勧めています。祈っているのに思わしい結果が見られなくて悩む時、私たちにはわからないけれでも主のご計画があることを信じるとともに、すべてを美しくしてくださる主の時があることを心に据えて、イエス様が失望しないでいつでも祈ることを勧めているように(ルカの福音書18章1節)、主の時があることを心に刻んで祈り、主に拠り頼んで生きるようにしようではありませんか。
