いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)

1.ネヘミヤ記8章8節ー12節
2.詩篇37篇1節ー4節
3.イザヤ書61章10節-11節
4.テサロニケへの手紙第一5章14節ー24節

通常人々が喜ぶ時は、ワールドシリーズで二連勝を果たしたドジャースのように勝利した時や自分の願いがかなった時ですが、ソロモンは「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵のある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。」と、日の下、すなわちこの世を見た時、努力が報われないことがあり、保証がないことを語っています。信仰のゆえに迫害に会い、捕らわれの身であったパウロは「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と、苦しみの中にあったピリピの聖徒たちに書き送りました。パウロは「いつも主にあって」と、「いつも」、ということは、喜ぶことができるような状態の時に限らず、努力が報われないような時にも、悲しい時にも、不安や恐れ、思い煩いに苦悩する時にも喜ぶことができる秘訣を「主にあって」と、主がどのような方であるのかを思い起こすように勧めておられるのではないでしょうか。ヤコブは「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。(ヤコブの手紙5章13節)」とどんな時にも主を忘れないように勧めています。パウロは「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と語っています。十字架で示された神の愛と恵みの中に生かされていることを、私たちの弱さをよくご存知な神がすべてのことを益としてくださることを知って生きるために、パウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」と勧めているように、神の子とされていることを忘れずに「アバ。父」と(ローマ人への手紙8章15節)、神に助けを求めて祈るだけでなく、神の御手に委ねて生きるようにしようではありませんか。