心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。(申命記6章5節ー6節)
1.マタイの福音書6章19節ー33節
2.マタイの福音書22章36節ー40節
3.ローマ人への手紙10章1節ー13節
4.ヤコブの手紙1章12節ー22節
復活はないと言っているサドカイ人たちの質問に対してイエス様が黙らせてしまったのを聞いたパリサイ人のうちのひとりの律法の専門家が、イエス様を試そうとして「先生。律法の中で、たいせいつな戒めがどれですか。」と尋ねると、イエス様は「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。」と答えられましたが、実は、すでにモーセは民に「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と命じてから「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。」と、命じておられたのでした。ですから、律法の専門家であるなら「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」を当然知っていたと思うのに、イエス様を試されたのは、知識として知っておられたでしょうが、イエス様がパリサイ人や律法学者たちに「神のことばを無にしてしまいました。」と仰せられただけでなく、イザヤ書29章13 節「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。わたしを拝んでも、むだなことである。」を引用されたように(マタイの福音書15章1節ー8節)、心に刻まれていなかったのではないでしょうか。みことばを知ることは大切ですが、ただ知識として知っているだけでなく、みことばに生きるために、みことばに対してアーメンと同意して生きるようにしようではありませんか。
