主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。(ナホム書1章7節)
1.サムエル記第一30章1節ー20節
2.ヨブ記16章19節ー21節及び42章7節ー10節
3.ヨハネの福音書10章11節ー15節
4.ピリピ人への手紙4章12節ー13節
主はエリアブを見て「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と思ったサムエルに「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられれたので、サムエルが「子どもたちはこれで全部ですか」と尋ねると、「まだ末っ子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」と、父エッサイも考えなかったダビデを選ばれたのは(サムエル記第一 16章6節ー13節)、今日の聖句が「主に身を避ける者たちを主は知っておられる。」と語っているように主はダビデをよくご存知だったからではないでしょうか。サウルは勇気のある者や、力ある者を見つけると、その者をみな召しかかえたのですが(サムエル記第一14章52節)、ゴリアテが「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりよこせ。ひとつ勝負しよう。」と呼びかけるとサウルも民も意気消沈し非常に恐れてしまったのですが、ダビデはサウルに「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手から私を救い出してくださいます。」と、申し上げ、主の御名をもって勝利されたのでした。ダビデは主はいつくしみ深い方であり、苦難の日のとりでであることを知っておられたからではないでしょうか。イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と呼びかけています。イエス様はペテロが三度イエス様を知らない、ということをご存知だっただけでなく彼の信仰がなくならないように祈られたのでした。ペテロは自分のことを自分より主はよくご存知であることを知られたのでした。私たちのことを、問題をご存知な主を信頼して生きるようにしようではありませんか。
