私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(ヘブル人への手紙13章14節ー15節)
1.歴代誌第二20章1節ー26 節
2.詩篇42篇1節ー11節
3.マルコの福音書14章16節ー26節
4.使徒の働き16章16節ー34節
イエス様はご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と(ヨハネの福音書12章24節及び27節ー28節)、ゲッセマネの園でイエス様は「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られましたが、イエス様は弟子たちにぶどう酒とパンをもってご自分の死を告げてから、賛美の歌を歌ってからゲッセマネの園に行かれたことを思うと、今日の聖句が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」と語っているように、ご自身に与えられた使命に生きられ賛美のいけにえを捧げられ、神の栄光を現されたのでした。シラスとパウロも迫害され足かせを掛けられ牢に入れられてしまいましたが、そのような最悪の状況において神に祈りと賛美をささげると大地震が起こり、牢のとびらがあいただけでなく、看守と看守の家族も救われたのでした。ヨシャパテも大軍が攻めてくるのを知り、恐れましたが、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美すると主が勝利を与えられました( 歴代誌第二20章1節ー26 節)。賛美できないような状況において状況に目を留めるのではなく、賛美の力がどれほどの力があるのかを忘れずに、すべてのことを益としてくださる主を仰ぎ見て主をほめたたえるようにしようではありませんか。
