人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。(詩篇49篇20節)

1.詩篇119篇97節ー104節
2.伝道者の書12章7節ー14節
3.マタイの福音書6章24節ー34節
4.エペソ人への手紙1章17節ー23節

今日の聖句が「「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」と語っているように、神である主から知恵の心と判断する心だけでなく、富や誉れを与えられたソロモンは「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。」と、愚かさ、すなわち神を考慮しない世の観点からこの世を探索した結果、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節ー14節)」と結論づける前に「知恵のある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えらられた。」と、悟りは主によって与えられることを告白しています。主は「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー(エレミヤ書9章23節ー24節)」と警告しています。今日の聖句が「「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」と警告しているように、神によって土から造られても、人と異なっていのちの息を吹き込まれていない(創世記2章7節及び19節)、死後、土に帰るだけの獣のようではなく、主がどのような方なのかを忘れないようにしようではありませんか。