義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.詩篇85篇8節ー11節
2. ローマ人への手紙4章25節ー5章1節
3.エペソ人への手紙2章14節ー19節
4.コリント人への手紙第一1章18節ー31節

今日の聖句は「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と語っていますが、パウロは律法による義に生きていた時には神に対して熱心でしたが、平和をつくりだすどころかキリストを信じる信仰によって神から与えられる義を知らずにキリスト者を迫害し、今日の聖句と正反対の世界に生きておられたのですが、キリスト者となった彼は神の義は何の差別もなくイエス・キリストを信じるすべての人に与えられることを、しかも神の義は「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と恵みによって与えられることを語ってから「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今まで犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ人への手紙3章24節ー26節)」と、神の義がどのようなものによるものであるかを語っています。自分こそ正しいと思う人の義は世界に平和をもたらすことができないばかりか、罪を消すことができないので神との平和を作ることができませんし、永遠の平穏を信頼をもたらすことはできません。十字架の死をもって罪に対する罰を受けてくださり、神との平和をもたらしてくださっただけでなく、死からのよみがえりをもって永遠のいのちを明らかにしてくださり、この世が与えることのできない平安、すなわち死後に対する恐れから解放してくださり永遠の平穏と神に対する信頼を与えてくださるイエス様がいつも、どんな時にも私たちを御手の中に保っていてくださることを感謝して生きようではありませんか。