あながたはキリストのものであり、キリストは神のものです。(コリント人への手紙第一3章23節)
1.イザヤ書43章1節ー7節
2.コリント人への手紙第一6章19節ー20節
3.ガラテヤ人への手紙3章26節ー29節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
イエス様は「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」と語ってから「父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わしたことを、世が信じるためです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らも愛されていることとを、この世が知るためです。」と祈られました(ヨハネの福音書17章14節ー18節及び21節ー23節)。パウロは「あながたはキリストのものであり、キリストは神のものです。」と、興味深いことに十字架で血を流されたのはイエス様でしたが、パウロは「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会(使徒の働き20章28節)」と語っています。キリスト者は恵みによって、この世からだけでなくこの世を支配している悪魔や悪霊の支配からも完全に解放され、キリストのものとされていること、すなわちキリストと一体とされていることを、個々人がキリストのからだの一部であることを忘れずに生きるようにしようではありませんか。
