あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙第一10章13節)
1.ヨハネの福音書16章29節ー33節
2.ヤコブの手紙5章10節ー11節
3.ペテロの手紙第一1章5節ー9節
4.ペテロの第一の手紙4章12節ー13節
イエス様は「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)」と仰せられたように、ペテロが「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。・・たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と言うと、他の弟子たちもみなそう言ったのですが、イエス様がおっしゃったようにペテロは鶏が鳴く前に三度知らないと言い、他の弟子たちは家に帰ってしまったのでした(マタイの福音書26章33節ー35節及びヨハネの福音書16章32節)。イエス様は私たちのことを私たち以上によくご存じです。ですから、今日の聖句は「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」と、キリスト者になっても世の人々と同じような試練に会うこと、神がどのような方なのかを語ってから、自分では耐えられない、と思うような試練でも耐えられないようなものではないことを、神が試練から脱出する道をも備えてくださっていることを語っています。ヨシャパテは大軍が攻めて来ることを知り「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力がは、私たちにありません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と申し上げると、主は「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」と仰せられ、彼らが主を賛美すると、主は勝利を与えられたのでした。試練は私たちを悩ますためのものではなく、主との関係を深め、主の偉大さを経験するチャンスであり、信仰が深まるためのものであることを、主の時があることをも忘れずに、ヘブル人への手紙12章3節が私たちの心が元気を失ったり、疲れたりしないために信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないように勧めているように、ヨシャパテのように脱出の道である主を見上げ、主に助けを求めて生きようではありませんか。
