わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.エレミヤ書18章1節-6節
2.コリント人への手紙第一6章19節ー20節
3.コリント人への手紙第二3章17節ー18節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節

多くの人は、特にアスリートの方々は栄光を掴むために日々努力をされていますが、そのような栄光は一時的であり、しかもソロモンが「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、また富は悟りのあるものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってします。(伝道者の書9章11節ー12節)」と語っているように、栄光を勝ち取れるという保証のないものですが、神がキリスト者に与えてくださっている栄光は永遠のものであり(ペテロの手紙第一5章10節)、しかも、パウロは「私 はみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる神の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)」と、月が太陽の光を受けて輝いているように、キリスト者に与えられている栄光は主の栄光であることを語っています。今日の聖句「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」を心に据えて、イスラエルの民だけでなく、全てのキリスト者は主の栄光のために贖われたことを忘れずに生きるように心がけようではありませんか。