私は、自分に与えらた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神はおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.使徒の働き3章1節ー16節
2.エペソ人への手紙2章1節ー10節
3.ピリピ人への手紙3章10節ー18節
4.テモテへの手紙第一1章13節ー16節

パウロは「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世の来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。(テモテへの手紙第一1章13節ー16節)」と、また「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。( コリント人への手紙第一15章9節ー11節)」と、また「誇るなら、主を誇れ」と勧告しているように、自分の働きを誇るのではなく、恵みに生き、「私は、自分に与えらた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神はおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて慎み深い考え方をしなさい。」と勧告しています。恵みによって救われただけでなく、全ての人の信仰は主から与えられていることを心に据えて、他者を見下したパリサイ人のように高ぶらないように、また「自分には信仰がない」などと他者と自分を比較するような生き方をしないように心がけようではありませんか。