感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。(詩篇50篇23節)

1. 詩篇116篇5節ー17節
2. ルカの福音書22章14節ー20節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節ー18節

イエス様は「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師くらいにはなるのです。(ルカの福音書6章40節)」と仰せられました。キリスト者になったパウロは「私がキリストを見習っているように、あなたがたも私を見習ってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」と、パウロ自身が心がけていることでもあるように模範とすべき方はキリスト以外におられないことをすべてのキリスト者が心がけるべきことを語るとともに「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙第一5章20節)」と神がキリスト者に望んでいることを、すべてのことを感謝する秘訣はイエス様の事を思う事であることを教えてくださっています。イエス様は感謝を捧げてからパンを裂いて弟子たちに与えて「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」と仰せられてから感謝をささげてから「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカの福音書22章17節ー20節)」と仰せられ、ゲッセマネの園で「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」ともだえ苦しんで祈られましたが、今日の聖句が「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。」と語っているように、ご自身の死を、感謝をもって受け入れられ、「その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」と語っているように神はイエス様を死からよみがえらせ神の救いを完成されたのでした。信仰の創始者であり完成者であるだけでなく、感謝のいけにえをささげられた真の礼拝者であるイエス様を仰ぎ見て、自分勝手な道を歩むのではなく、信仰の創始者であり完成者であるだけでなく、感謝のいけにえをささげられた真の礼拝者であるイエス様を仰ぎ見て、自分勝手な道を歩むのではなく、感謝できないようなことも益としてくださる神の恵みと愛に心から感謝し、イエス様のことば「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません(ヨハネの福音書14章6節)」を心に据えて、御国を目指していのちの道を歩むようにしようではありませんか。