信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)
1.マルコの福音書5章25節ー34節
2.ルカの福音書8章4節ー18節
3. 使徒の働き17章16節ー34節
4.使徒の働き26章2節ー30節
十二年の間長血をわずらい、多くの医師にひどいめに会わされ、自分の持ち物をみな使い果たしてし、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった女性はイエス様のことを耳にして「お着物(上着)にさわることでもできれば、きっと直る」と考えて、着物に触るといやされるとそのことをイエス様に申し上げると、イエス様は「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と仰せられたのですが、パウロが「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と語っているように、彼女の信仰はイエス様のことを耳にしたことによるものでしたが(マルコの福音書5章25節ー34節)、一方イエス様が種蒔きのたとえを話されてから「聞く耳のある者は聞きなさい。」と、弟子たちに「聞き方に注意しなさい。」と仰せられたように(ルカの福音書8章8節及び18節)、偶像で満ちていたアテネの人々にパウロがイエス様について、復活について語ると、信仰に入った人たちもいましたが、あざ笑う人や「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った人がおられたのでした。みことばを、イエス様を知っているだけでなく、ヘブル人への手紙11章6節が「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」と語っいるように、自分の思いや感情がどう訴えようが、イエス様がキリスト者は「世界の光」と仰せられたように(マタイの福音書5章14節)、世界の光として輝くために、いのちのみことばをしっかり握って生きるようにしようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。
