主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。(詩篇116篇5節ー7節)
1.ネヘミヤ記9章1節ー31節
2.詩篇23篇1節ー6節
3. 詩篇103篇1節ー14節
4.ヨハネの福音書16章19節ー23節
旧約聖書の記事を見ると、神の民とされたイスラエルの民は後方からエジプト軍、前方には紅海と四面楚歌の状態に置かれたとき、民は非常に恐れて主に向かって叫んだのですが、エジプトにおいても多くの奇蹟を体験しいたにもかかわらず、エジプトを懐かしむような事を言って不信の罪を犯したのですが今日の聖句が「主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。」と語っているように、主は正しいだけでなく、情け深く、あわれみ深い方であるがゆえに、主は紅海を二つに分けられ、民が対岸に渡り終えると、海水を元に戻されたので、追ってきたエジプト軍はひとり残らず溺死させて、主がどのような方なのかを忘れ、わきまえのないイスラエルの民を守られたのでした。その状況を見た民はモーセとともに主をほめたた得たのですが((出エジプト記14章8節ー15章19節)、欲望にかられたり(民数記、恐れたり不安になると(出エジプト記13章25節ー14章4節)、主がどんな偉大な方であるいのかを忘れて何度もエジプトを懐かしむような事をしたのですが、主はヨシュアを用いて約束の地に民を導き入れてくださったのでした。ダビデは「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)」と、「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます(詩篇23篇2節)」と、イエス様は「すべて疲れている人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と仰せられました。今日の聖句が「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。」と勧めているように、全きいこい、である主の安息の中に生きるようにしようではありませんか(ヘブル人への手紙4章10節ー11節)。
