愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダの手紙20節ー21節)

1.ルカの福音書 6章47節ー48節
2.ヨハネの福音書15章9節ー17節
3.エペソ人への手紙6章10節ー20節
4.ヘブル人への手紙10章14節ー24節

イスカリオテのユダでないユダは「愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、」とまず私たちが留意すべき三つの点を語ってから「永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」と勧めています。ユダは私たの持っている信仰は最も聖いものであることを指摘していますが、それは私たちの努力によるものではなくヘブル人への手紙10章22節が「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、体をきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と、ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と語っているように私たちの信仰は最も聖なるイエス様によって与えらている事を忘れずに生きること、そして、神のみこころにかなった願いや祈りに主は答えてくださるので、神のみこころをご存知な御霊によって祈ることを奨励するとと共に、神の愛のうちに自分自身を保つように勧めていますが、神の愛は十字架で示されたように赦しでもあるために、パウロは「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ人への手紙3章18節)」と勧めているのではないでしょうか。最後に「永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」と勧めています。教会を迫害していたパウロが、神のあわれみを受けて神の恵みを知り恵みに生きられたように、私たちも永遠のいのちへと私たちを導いてくださる主にお会いする日まで日々主のあわれみを待ち望んで生きるようにしようではありませんか。