わたしが父の元から遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかかしします。(ヨハネの福音書15章26節)

1.ルカの福音書24章44節―49節
2.使徒の働き1章1節ー8節
3.使徒の働き2章1節ー41節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー12節

イエス様は十二弟子に汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすために汚れた霊を追い出す権威をお授けにまりましたが、「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤの町に入ってはいけません。イスラエルの失われた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。(マタイの福音書10章1節ー7節」と、仰られたのですが、死からよみがえられたイエス様が昇天される前に「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と、仰せられたように、神の民であるイスラエルだけでなく、世界中に遣わされることを語ったのでした。イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしが話しておいたことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14 章26節)」と仰せられたように、聖霊に満たされたペテロは人を恐れずに、他の使徒たちと一緒に立ち上がって大胆に証されたのでした(使徒の働き2章9節ー36節)」と、しかもその大胆さは民の指導者や長老たちが驚くほどのものだったのでした(使徒の働き4章13節)。ところで、聖霊の力は世界宣教のためだけでなく、パウロが「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊よって、『アバ、父』と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)」と、イエス様が「「わたしが父の元から遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかかしします」と仰せられたように、日常生活においても思い煩ったり、恐れたりすることがありますが、不思議に主を思い起すと、大丈夫という思いとともに力が与えられるのではないでしょうか。それこそ聖霊が与えられている証拠ではないでしょうか。日々聖霊の力に満たされることを願って生きるようにしようではありませんか。