まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)
1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.コリント人への手紙第一3章18節ー4章5節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
ヨハネの福音書1章18節は「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と語っているように、この世の神でも人々の考えで祭り上げられたような神でなく、真の神を知るためにはイエス様のことば以外にないことを語っています。イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」と仰せられたでけでなく、イエス様を見ながらも信じようとしないユダヤ人たちに「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章38節ー40節)」と、永遠のいのちの保証を語られました。キリスト者もこの世を去るまで過ちを犯しますが、神に裁かれることがないどころか、パウロが「私たちの国籍は天にある」と告白しているように、死後、天国で永遠に生きることができる永遠のいのちが与えられていることを、キリスト・イエスにある神の愛から漏れるようなことがない事を、死は永遠の御国への門であることを忘れずに救われているかどうか迷うような生き方をしないように心がけようではありませんか。
