わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じた者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章39節ー40節)
1.ヨハネの福音書3章16節ー18節
2.ヨハネの福音書10章24節ー30節
3.ローマ人への手紙6章17節ー23節
4.コリント人への手紙第一3章10節ー15節
イエス様は「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15章16節)」と仰せられたように、パウロはキリスト者を迫害していましたが、イエス様の方から声をかけられご自身を現され(使徒の働き26章9節ー18節)、使徒としての働きを与えられたのでした。パウロはコリントの聖徒たちに「あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなた方は肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。ある人が『私はパウロにつく』と言えば、別の人は『私はアポロに』と言う。そういうことでは、あなた方は、ただの人ではありませんか。」と話されてから、「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。」と、その土台はイエス・キリストであることを語ってから「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、その火がその力で各人の働きの真価を試すからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。(コリント人への手紙第一3章10節ー15節)」と、救いは行いによるのではなく恵みによるものであることを示唆していますが、それはイエス様の「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じた者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と言う言葉に裏付けられるのではないでしょうか。パウロは「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節」とも語っています。行いによってはだれも救われません。救われているかどうか悩まずに、神に選ばれた存在であることを、恵みによって生かされていることを、永遠のいのちが保証されていることを感謝して生きようではありませんか。
