あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(ゼパニヤ書3章17節)
1.サムエル記第二22章17節ー20節
2.ルカの福音書15章11節ー32節
3.ローマ人への手紙8章33節ー39節
4.ローマ人への手紙14章15節ー19節
旧約聖書の時代は今日の聖句が「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。」と語っているように、幕屋や神殿の至聖所に主はご自身を現わされましたが、神は罪人を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、人々の間に住まわれましたが、イエス様が約束されたように、イエス様を信じることによって御霊が与えられ、聖霊の宮とされ、死に勝利された救いの勇士であるキリストがキリスト者のうちに生きておられるのです(ガラテヤ人への手紙2章20節)。取税人や罪人たちがみな、イエス様の話を聞こうとして、みもとに近寄って来るのを見たパリサイ人や律法学者たちが「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」とつぶやいたので、イエス様は、彼らに「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」とたとえ話をもって語られました(ルカの福音書15章1節―7節)。ですから「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」と語っているようにキリスト者は主に喜ばれている存在なのですが、私たちは神に喜ばれていることをあまり考えずに生きているのではないでしょうか。パウロのように自分のみじめさにを情けなく思うような時、キリスト者は神の御怒りから完全に解放され、神に愛されていることを、救いの勇士が内住しておられることを思い起こし、自分が自分のことをどう思おうと信仰の完成者である主を仰ぎ見て、主に喜ばれている存在であることを思い起こし、主を誉めたたえて生きようではありませんか。
