「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5章43節ー45節)

1.ルカの福音書23章32節ー24節
2. 使徒の働き7章46節ー60節
3.ローマ人への手紙12章14節ー21節
4.コロサイ人への手紙3章1節ー15節

ヨハネの福音書1章11節ー12節に「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と、この方、すなわちイエス様を信じた者は、イスラエルのように神の民とされている以上に神の子としての身分が与えらていることを語っています。ところで、イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」と、神の子とされたキリスト者が父である神を見習って生きるように仰せられました。自分の義に生きていた時のパウロは大祭司やユダヤ人と考えを等しくし、激しい怒りをもってキリスト者を迫害していましたが、キリスト者となった神の恵みとあわれみを知った彼は「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。・・・・だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。・・・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章14節、17節及び21節)」と、「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ人への手紙3章13節)」と、勧める人に変えられたのは、いつも死からよみがえられたイエス様のことを思っていたからではないでしょうか(テモテへの手紙第二2章8節)。