私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。(エレミヤ書17章14節)

1.イザヤ書53章1節ー3節
2.イザヤ書61章1節ー3節
3. マタイの福音書15章21節ー31節
4.ヘブル人への手紙10章14節ー24節

エレミヤは主からのメッセージを同胞の民に伝える預言者とされましたが、「ああ、彼らは私に言っています。『主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよう。』」と語っているように、あざけられただけでなく、時には殺されるような目にあった彼は「私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。」と祈ってから「あなたこそ、私の賛美だからです。」と告白しています。彼が求めていたいやしは心のいやしではないでしょうか。イエス様は「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」と言ったカナン人の女性のねがいをかなえてくださり、娘さんは直ったように(マタイの福音書15章21節ー31節)、人の力や知恵、心理学では解決できない心の癒しを主は与えてくださるのです。ヘブル人への手紙10章20節ー22節が「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」と勧めているみことばをしっかり握って、エレミヤが「主は私の賛美」と語っているように主を誉めたたえて生きようではありませんか。