十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(コリント人への手紙第一1章18節)
1.マタイの福音書24章1節ー35節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.ヨハネの福音書6章53節ー63節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
パウロは「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」と十字架のことばは人によって異なるものであることを語っています。イエス様は大祭司から「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」と尋ねられたので「わたしはそれです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」と答えると、大祭司は衣を引き裂いて「これでもまだ証人が必要でしょうか。あなたがたは神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」と言うと、祭司長、長老、律法学者たち全員が死刑に当たる罪がある、と決めつけて(マルコの福音書14章61節-64節)十字架につけると人々はあざけったり、ののしったりしたのですが、イエス様と共に十字架にかけられていた二人もイエス様のことをののしったのですが(マルコの福音書15章29節ー32節)、イエス様が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたのですが、十字架にかけられた犯罪人のひとりだけが悪口を言っている犯罪人対して「おまえは神をも恐れないのか。お前も同じ刑罰を受けているではないか。われわれは自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」とたしなめてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げたのでした。イエス様は彼に「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束され(ルカの福音書23章33節―43節)、最後に「完了した。(ヨハネの福音書19章30節)」と宣言され贖いを、恵みとまことを実現されたのでした。この世の知恵は罪や死の解決を与えることはできませんが、神ご自身が神の知恵をもって救いの道を完成されたのでした。どんなときにも十字架で罪の代価は支払われ、罪や死から救われ、永遠のいのちが与えられていることをしっかり心に据えて、十字架のことばをむなしくしないように生活しようではありませんか。
