ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。(イザヤ書38章17節)

1.詩篇119篇65節ー71節
2.ローマ人への手紙6章17節ー23節
3. エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ヘブル人への手紙10章14節ー18節

哀歓3章33節が「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」と、ヒゼキヤは「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。」と、、苦しみは私たちを苦悩で終わらせるものではなく、平安をもたらすもの、と受け止めることができるようになったのでした。ヤコブの手紙5章13節が「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」と、大軍が攻めてくることを知らされ恐れたヨシャパテが「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たにこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。(歴代誌第二20章12節)」と祈られたように、主がどのような方なのかを思い起こし、主に拠り頼む信仰に導かれるからではないでしょうか。ヒゼキヤが更に「あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。」と、バプテスマのヨハネはイエス様のことを「見よ。世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネの福音書1章29節)」と言われたように、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになられ、イエス様を信じる者の全生涯の過ちや罪に対して下される刑罰をイエス様は十字架の死をもって引き受けてくださり、永遠の死から贖い出してくださり、死からよみがえられたイエス様と同じように栄光の姿に変えてくださり、永遠に神とともに生きることができる永遠のいのちが与えられていることを忘れずに、神の一方的なあわれみを感謝し、主を誉めたたえて生きるようにしようではありませんか。