わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ書33章3節)

1.詩篇18篇1節ー19節
2.ルカの福音書1章8節ー20節
3.コリント人への手紙第二12章1節ー10節
4.エペソ人への手紙1章5節ー19節

ザカリヤが神殿に入って香を炊いている間、大ぜいの民はみな、外で祈っていましたが、主の御使が現れたので、不安を覚え、恐怖に襲われたのですが、御使は「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリザベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼はぶどう酒も強い酒も飲まず、また母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち返らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」と告げると、今日の聖句が「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」と語っているように、ゼカリヤの願いに主が答えられたにもかかわらず、ゼカリヤが「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」と言ったので、御使は「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」と言われたとおりになったのでした(ルカの福音書1章8節ー20節)。お母様が日曜学校の先生をされておられましたが、ドイツのジュッセルドルフの歌劇場で歌っておられた素晴らしいアルト歌手で、聖霊に満たされていたキレブル女史がイエス様を信じることになったのはお母様の葬儀の時でした。不信仰に陥らないように、私たちの祈りや願いは主に届いていますが、その答えは主の時にもたらされるものであることを忘れないようにしようではありませんか。