謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。(箴言22章4節)
1.列王記第一3章3節ー14節
2.箴言3章1節ー10節
3.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
4.ヤコブの手紙4章1節ー10節
今日の聖句が「謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。」と語っているように、王となったソロモンが神を愛していた時、「あなたに何を与えようか。願え」と仰られた主に「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と王でありながら、「しもべ」と申し上げ、自分のための願い事をせず、神のみこころにかなった願いをされたので、主は彼が願っていた知恵の心と判断する心を与えただけでなく「あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもいないであろう。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」と仰せられたのでした。ところで、パウロが「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章3節)」と語っているように、イエス様も神でありながら罪人、すべての人は罪を犯したので、すなわちすべての人を救うためにご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられ十字架の死にまで従われたのですが(ピリピ人への手紙2章6節ー8節)、ヘブル人への手紙5章7節が「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」と語っているように、三日目に死からよみがえられ永遠のいのちを明らかにされたのでした。真の謙遜は、主がどんな偉大な方であるのかを知ることによって生まれるものであることを、やがて主から称賛されること(コリント人への手紙第一4章5節)、永遠のいのちが与えられていることを心に据えて、この世の富や誉れを求めるよりも、主を誉めたたえて生きようではありませんか。
