人は、たとえ全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せば良いのでしょう。(マタイの福音書16章26節)
1.詩篇49篇1節ー9節
2.ルカの福音書12章13節ー31節
3.ヨハネの福音書3章1節ー18節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
創世記1章27節に「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と、ソロモンは「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)」と、創世記2章7節が「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」と、同章19節が「神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。」と、人と他の被造物との違いを語っています。ところで、今日の聖句は「人は、たとえ全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せば良いのでしょう。」と問いかけています。黙示録20章には「第二の死」とありますが、それは肉体の死ではなく、永遠の死、すなわち、火と硫黄との池(地獄)で永遠に昼も夜も苦しみ続ける人について語っています。イエス様は御国を継ぐ、すなわち天国で永遠に生き続ける人と永遠の刑罰を受ける人について語っています(マタイの福音書25章31節ー46節)。人はこの世を去るまで過ちや罪を積み上げて生きています。全生涯の罪を人の力や知恵で消すことはできません。パウロは「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と語っています。十字架の死をもってイエス様は私たちの代わりに全生涯の罪に対する罰を受けてくださったのでした。キリスト者は死後、死も、悲しみも、叫び、苦しみもない天国で主と一緒に永遠に生きるいのちが与えられていることを忘れず、恵みによって救われていることを喜ぼうではありませんか。
