愚かな者には悪事が楽しみ。英知のある者には知恵が楽しみ。(箴言10章23節)
1.サムエル記第一25章2節ー38節
2.サムエル記第二10章1節ー19節
3.ヨハネの福音書3章16節ー21節
4.ローマ人への手紙1章16節ー32節
詩篇14篇1節や詩篇53篇1節が「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。」と語ってから「彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行う者はいない」と語っているように、 聖書が語る「愚かな者」は、この世の人々が考えているような、頭が良いか悪いかというような、知能指数や能力のなさを意味するような愚かさではなく、ヘブル語では「愚かさ」は「ナバル」で( サムエル記第一25章2節ー38節にナバルの記事がります)、「彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行う者はいない」と語っているように、モラルに反するような生き方をしている人々、すなわち不道徳な人たちが愚かな者であり、そのために「神はいない」と神の存在を否定する生き方をしているために、「愚かな者には悪事が楽しみ。」と語っているのではないでしょうか。ですからパウロは創造者なる神を認めずに愚かになって偶像崇拝をしている人々は自分たちの快楽を愛して欲望に生きている事を語っています(ローマ人への手紙1章20節ー31節)。一方英知にある者の生き方について、箴言17章27節は「自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。」と語っていいます。パウロは「神はこの世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです(コリント人への手紙第一1章20節ー21節)」と、ペテロは「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。(ペテロの手紙第二3章18節)」と勧めています。英知のある者として生きることができるように、自分の思いや自分の考えに縛られるよりも、神の知恵である恵みのみことばを喜んで(楽しんで)生きるようにしようではありませんか。
