あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされないようにはなさらない。(詩篇55章22節)

1.ヨシュア記1章1節ー9節
2. マタイの福音書11章28節ー30節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節

「重荷」には、過去の失敗を悔いて罪悪感や罪責感に悩まされたり、現在置かれている状況やまた将来に対する思い煩いなど様々な要素があるのではないでしょうか。ダビデは「主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされないようにはなさらない。」と、主がどのような方なのかをよくご存知であるがゆえに「あなたの重荷を主にゆだねよ。」と勧めているのではないでしょうか。ところで、赤ちゃんは母親が自分のことを落とすとは考えないで母親に抱かれてスヤスヤと眠っているように、ゆだねる、ということの根底には信頼があるとともに、主にお任せするrという要素があるのではないでしょうか。ヘブル人への手紙4章10節ー11節は「神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませか」と、イエス様は「すべて、疲れた者、重荷を追っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と、人々が重荷を負って苦しむことを願っていないことを語っています。どんなに心配しても、思い煩ってもそれらのものが解決を与えることができないことを心に据えて、いろいろな問題を握りしめて祈るのではなく、心のうちを正直に申し上げるとともに、キリスト・イエスにあって心とお思いが守られるように、抱えている問題や思い煩い、心配ごとなど、それらすべてのものを主の御手に明け渡して、感謝をもって祈るようにしようではありませんか。