私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。(ヨナ書2章7節)
1.サムエル記第一30章1節ー19節
2. 詩篇50篇詩篇142篇1節ー7節
3.ルカの福音書15章11節ー24節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
巨人ゴリアテの「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負しよう。」ということばを聞いたサウルもイスラエルのすべてが意気消沈して非常に恐れたにもかかわらず(サムエル記第一17章10節ー11節)、ダビデは「お前は、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、お前に立ち向かうのだ。」と宣言され一つの石で勝利されたにもかかわらず、サウルからいのちを狙われたダビデは「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」と、ゴリアテとの戦いに勝利した時のようではなく、主がサウルの後のイスラエルの王として選ばれ、サムエルから油を注がれていたことをも考慮せずに自分の考えで自分のいのちを守ろうとしたのですが、ダビデとダビデとともにいた者たちが住んでいたツイゲラグが略奪隊に襲われ町が火で焼かれすべてが奪われたために、今度は部下たちから石で打ち殺されそうになったとき、ダビデは主によって奮い立ち主に「あの略奪隊を追うべきかを伺うと、主が必ず追いつき家族を救い出すことができることを約束されたようにすべてを取り戻したのでした(サムエル記第一30章1節ー18節)。ヨナは神から与えらた使命から逃げましたが、その結果魚に飲まれた状況下で「私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。」と告白しています。みことばを知っていながら、みことばに生きられなくて問題を起こしてしまったような時も、自分の考えで窮地に陥った時にも、放蕩息子が父のもとに戻られたように、恵みと憐れみとまことに満ちておられ、どんなこともおできになり、すべてのことを益としてくださる主を思い起こして生きようではありませんか。
