ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。」(ダニエル書2章20節)

1.ローマ人への手紙11章25節ー36節
2.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー11節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節

パウロは「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。」と語ってから、「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」と説き明かしています。イエス様は抵抗せずに罪人バラバの代わりに十字架につけられ、人々からあざけられ、ののしられ、悪口を言われましたが、父の御心を、すべての人が救われて真理を知ることを願っておられることをご存知で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と人々のためにとりなされただけでなく「完了した(ヨハネの福音書19章30節)」と仰せられ、贖いを成し遂げられて救いの道を与え、人が神に近づくことができるように神との平和を与えてくださいました。神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになられ、この世や人の知恵では考えられないような方法をもって罪や死の解決ばかりか、罪悪感や罪責感に悩まされて後悔するような人生から贖い出してくださっただけでなく、永遠のいのちを与えてくださり、やがて主とともに永遠に生きることができるという永遠の希望を与えてくださったのでした。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。」と告白されたダニエルのように、神の知恵と神の力が十字架の死と復活をもって現されたことを感謝し、主をほめたたえて生きようではありませんか。