主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(歴代誌第一16章11節及び詩篇105篇4節)

1.歴代誌第二20章1節ー26節
2.詩篇29篇1節ー11節
3.イザヤ書40章28節ー31節
4.ペテロの手紙第二1章2節ー3節

「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」は歴代誌第一16章11節と詩篇105篇に見られる聖句です。ダビデはダビデの町に運ばれて来た神の箱を天幕の真ん中に安置してから神の前に全焼のいけにえと和解のいけにえをささげてから、レビ人の中からアサフをかしらとして、ゼカリヤら10人を主の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにされ、アサフはシンバルを、他の者たちは十弦の琴や、立琴などの楽器をもってダビデとともに主をほめたたえて「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」と、神の民が「主」を。「主の御力」を「主の御顔を」求めることを勧めているのは、日常生活において、さまざまな試練に合ったとき、自分の力でなんとかしようとするよりも主がどのような方なのかを思い起こし、主が試練を乗り越えることのできる主の御力を与えてくださるように祈り、ヤコブが「私たちは、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3章2節)」と語っているように、後悔するような時、自分に失望したり、自分のことを責めるより、迷子の子どもが親の顔を見て安心するように、恵みとまことに満ちておられ、すべてのことを益にしてくださる、この世が与えることのできない平安を与えてくださる主の御顔を仰ぎ見て生きるようにしようではありませんか。