お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4章32節)
1.マタイの福音書18章21節ー35節
2.ルカの福音書23章32節ー34節
3.ヨハネの福音書8章1節ー12節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー15節
パウロは自分の義に生きていた時にはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えて、激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となった彼は「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えなうようにしなさい。」と警告してから「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と勧めているのは、「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。(コリント人への手紙第二2章10節ー11節)」と、語っているように悪魔の策略を知っておられたからではないでしょうか。イエス様がご自身がエルサレムで殺されるけれども三日目によみがえることを弟子たちに打ち明けると、ペテロが「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」と主をいさめると、イエス様は「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と、サタンの働きがどのようなものであるのかをはっきり教えてくださっています。律法学者やパリサイ人たちは姦淫をした女性を石打ちにすべきかどうかを問い続けたのでイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい。」と仰せられると、自分で義人と自任していたパリサイ人や律法学者以外の人々は去っていったのでした。十字架上で人々のためにとりなされて神の愛を示されたイエス様のように、恵みによって救われていること、罪に定められないように主が祈っていてくださることを忘れずに互いに赦し合い神の愛を実践しようではありませんか。
