また、あなた方の心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができるように。(エペソ人への手紙1章18節ー19節)

1.マタイの福音書18章18節ー20節
2.使徒の働き3章1節ー16節
3.ローマ人への15章4節ー5節
4.ピリピ人への手紙4章10節ー13節 

キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上でイエス様から声かけられ、キリスト者となり御霊に満たされたパウロは、神を知るための知恵はこの世の知恵でなく神から与えられるものであり、人智では理解できないことを明らかにし教えてくださる御霊も神によって与えられるものであること、神の力を知ったがゆえに(ピリピ人への手紙4章13節)、まず「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなた方に与えてくださいますように。」と祈られてから「また、あなた方の心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができるように。」と、キリスト者が心の目で見なくてはならない三つの点ー神によって与えられる望み、キリスト者が受け継ぐべき栄光の富、信じる者のうちに働く神の力ーを祈っておられます。多くの苦しみを経験したパウロが「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ人への手紙15章4節ー5節)」と、ヤコブが「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。そして再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。(ヤコブの手紙5章17節ー18節)」と語っているように、旧約聖書を見ると励まされるのではないでしょうか。やがて主にお会いするという望みが、死に勝利した永遠のいのちが与えられているだけでなく、モーセやエリヤのような奇蹟が起きなくても、人が救われることこそ最大の栄光に満ちた主の御業ですが、そこには主の御名によって祈るキリスト者の信仰の祈りがあるのではないでしょうか。主の御名によって祈るときにその祈りは主がおられる第三の天に届いていることを、主の時があることを忘れずに家族のために、人々のために祈り続けようではありませんか。