あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、あなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネの福音書15章16節)
1.創世記12章1節ー3節
2.出エジプト記3章1節ー10節
3.サムエル記第一16章1節ー13節
4.使徒の働き26章2節ー23節
サウルは勇気のある者や力のある者を見つけると、その者をみな召しかかえましたし(サムエル記第一14章52節)、サムエルもエリアブを見て「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思いましたが、主は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るように見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられ、ダビデを選ばれたのですが、エッサイはサムエルから「子どもたちはこれで全部ですか。」と尋ねられるまでダビデを紹介しなかったのでした(サムエル記第一16章6節ー12節)。サウル王から命を狙われたダビデは自分の考えてゴリアテの出身地ガテに逃げ込んだのですが、すぐにダビデとわかってしまいアドラムの洞穴に逃げ込み「私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなた私に良くしてくださるからです 。(詩篇142篇7節)」と祈られましたが、ダビデのもとに集まって来たのは家族だけでなく困窮している者、負債のある者、不満のある者など約400人でしたが(サムエル記第一22章1節ー2節)、やがて彼らは勇者となりダビデがヨアブと民の主たちにイスラエルを数えるように言うと、ヨアブは罪を犯さないように助言するような信仰者に成長したのでした(サムエル記第二24章1節-3節及び歴代誌第一21章1節ー3節サムエル記は主が、と言い、歴代誌がサタンがと主語が違うのは、ヨブ記に見られるように主が許さない限りサタンは攻撃できないためであるからです)。今日の聖句が「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、あなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」と語っているように、主はダビデを選ばれ、人類を救うためにダビデの子と呼ばれる御子イエス様を人としてこの世のお遣わしくださり、イエス様を信じる者に聖霊を、永遠のいのちを与えられただけでなく、和解のことばを委ねられたのでした(コリント人への手紙第二5章19節ー20節)。
