あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐るな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。・・恐るな。わたしがあなたとともにいるからだ。」(イザヤ書43章1節及び5節)

1.ヨシュア記1章5節ー9節
2.マタイの福音書28章18節ー20節
3.ヨハネの福音書14章16節ー20節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節 

モーセの後継者となり民を約束の地に導く使命が与えられたヨシュアに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と仰せられてから「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を継がせなければならないからだ。」と強く、雄々しくあるべき理由を語りましたが、再び「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこでも、あなたが栄えるためである。」と「ただ」ということばをもって、右往左往せずにみことばに生きて強く雄々しくしていればよい、と仰せられてから三度目には「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と、強いことばをもって励まされたのですが、そこにはヨシュア自身の状態を見ることができるのではないでしょうか。私たちも恐れたり、思い煩ったり、おののいたりすることがありますが、今日の聖句が語っているようにイスラエルの民同様贖われ、主のものとされたていることを、主がどのような方であるのかを、どんな時にも主がともにおられることを忘れないようにしようではありませんか。